ゴッホの手紙を読む

第四回レクチュアの報告  矢野静明

 8月30日、第四回「ゴッホの手紙と作品」連続レクチュアを開きました。ゴッホは三〇歳になり、この時代からようやく本格的な油絵制作を開始します。今回は、ハーグで同棲していた女性シーンやその子供たちと別れ、両親がいるニューネンという村に帰った時の、そこでの制作と暮しぶりをたどってみました。父母の住む家に帰るといっても、歓迎されての帰郷ではなく、「放蕩息子の帰還」というべきもので、お互いにぎくしゃくした関係が続きます。

 しかし、母親が事故でけがをした時のゴッホの真摯な対応が、その関係に変化をもたらしますが、と同時に、もう一つ大きな出来事が起こります。父親の急死です。牧師であった父との確執は結局最後まで解消されませんでした。この時に描かれた『聖書』という油絵には、父が所蔵していた卓上版の大きな聖書と一緒に、小説家ゾラの『生きる喜び』という小さな本が描かれています。黒く大きな聖書と明るく小さな本との対比が、ゴッホの父親に対する批判的眼差しを示していると言われる作品です。


馬鈴薯を食べる人々」(1885年)ゴッホ美術館蔵(アムステルダム

 本格的に油絵を始めたゴッホが選んだモチーフは、働く人や暗く沈んだ周囲の風景でした。なかでも『馬鈴薯を食べる人々』はこの時代を代表する作品であり、またゴッホ自身も気に入っていました。しかし、パリで画商をしていた弟テオは、印象派の画家と交流があり、その明るい色彩と比較して、兄ゴッホの画面が暗すぎると批判します、兄はテオの意見に納得せず、自分の考えを伝えますが、それと同時に、自分なりに明るい色を使った画面を学ぼうとします。

 まだアルルのような明るい色彩には到達していませんが、この暗かったオランダ・ニューネン時代から、ゴッホの色彩への関心が始まっていることは、重要です。ゴッホの明るい色は、単に色の明るさを求めたのではなく、そこには別の考えが含まれていました。ゴッホの色彩と印象派の色彩との決定的な違いがそこから生まれます。

 次回はニューネンの家を離れ、アントワープに出た後、パリに住む弟テオのアパートへ行くあたりまでの予定です。

 10月7日(日曜)午後2時からです。


申し込み ギャラリー・アニータまで
電話   046-254-4833
会費   1000円(茶菓子付き)